経験が無いような苦しさ
初めて発作が出たのは32歳だった。
その頃の仕事は大規模な企業ネットワークの保守要員と監視要員として働いていた。ネットワーク保守というのは監視とセットで契約するのがその頃の流行りであり、スタンダードでした。今はどうなのだろう。
機械は壊れるので人が現場に駆けつけて物理的に交換する、その要員だ。
その日は大阪のデータセンターで契約機器に障害があり、東京から機器を持ち、大阪に急遽向かうことになった。準備を済ませ、新幹線の手配をし、会社を出て30秒。
あれ?なんか胸が重苦しい。。
立ち止まってうずくまる。
しばらくすると治る。
これが狭心症(のちに心筋梗塞と診断)の初めての発作でした。
ホテルで発作が起きる
なんだろうと思いながら大阪に向かった。作業は夜中にあるので、江坂のビジネスホテルで一時待機する。その時にも発作が起こる。胸が苦しい。
ベッドの上にうずくまって発作が引くのを待つ、こんな繰り返しを行なっていた。怖かった。けど、大事な仕事だったので穴を開けてはいけないと(若かったし)性格の真面目さが出てしまってそのまま交換作業に。
データセンターは寒い所である。膨大な機械は管理された空調下にあり、室温は20度を切るくらいかな。
当然体は冷え、血管も収縮する。発作のリスクは格段に上がったはずだ。信じられない。
しかしデータセンターでは何も発作が出ず、交換も無事に終了、それから発作も出ずに「なんだったのだろう?」と疑念を抱きながら普段の生活に戻っていった。
天から聞こえた声
監視の業務は夜勤もあった。夜の9時から朝の9時まで。若かったせいか、食生活もひどかった。夜勤スタート時にお弁当一つ、0時頃近所の蕎麦屋などで食事、夜中の3時頃弁当もう一つ。
酷かった、、、、
あれからも胸の痛みはなんなのだろうと自問自答する。その声が聞こえたのは夜勤上がり、監視センターから出る時だった。
「狭心症」
頭の中で響く声は男性のものだった。僕は霊感などなく、幽霊は信じたい方だけど、これまで霊体験など一回も無い。
あれは御先祖さまの声だったのだ、と今は思っています。
当日、五階建ての5階に住んでいてエレベーターがない建物だったので毎日階段で登り降りをしていた。そういえば階段を登ると苦しくなっていた。
ああ、これは狭心症なのだなと認識する。
天の声の事もあり、近くの病院へ。
寂れた病院だった。診療時間終了間際に駆け込んだので看護師はあからさまに不快感を表していた。
何とか先生に診察してもらう。心電図なども取ってもらうが横で
「肩こりですよ、それ。」
と看護師がつぶやく。心の中ではなんて奴だって思ってしまった。実際には
「先生に聞いてるんです、黙っててもらえますか?」と言ってた。
言わないとすまない性格なんです。。すみません。
先生は良い方で、あいにく専門外でわからないので紹介状を書くから専門の所で診てもらうように言われ帰宅。その後、親族に相談し、慈恵医大病院へ行くことになる。
いきなり車椅子
朝一番で慈恵医大に到着。受付していると看護師さんが車椅子を持ってきてくれて、以後、車椅子での移動となる。
それほど安静なのか?とビビったけど、借りてきた猫のように大人しくしていた。
診察結果は狭心症、すぐに心臓カテーテル手術を行うとの事。
え、すぐ?そんなすぐ?と思ったが、本当にすぐに心臓カテーテルを行い、午後には発作もなく回復していた。
あの時はVIPが入るような個室だった、、それしか空いてなかったからだと聞いた。
これが初めての発作のこと。
あれから長い付き合いになってしまったな。
続く。
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